お母さんは要介護 あらためて第1回  「あなたは救急車に乗ったことがあるか?」 ―ゴールデンウィーク最終日、私は母と救急車に乗っていた【2025年5月】

ビーコン、ピーコン スーハースーハースーハー ビー
こんにちは。ご無沙汰しています。尾久陽子です。
2025年皆さんのゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は2025年のゴールデンウィークこそ!と、このコラムの原稿作成を最優先で取り組んでいました。母が、ゴールデンウィークの最終日に救急搬送。救急車に乗っていたのでした。

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取り急ぎ、自己紹介から…

ずいぶん久しぶりのコラムでの登場になってしまいました。 私は、尾久陽子(おぎゅうようこ)です。行政書士・社会福祉士・ファイナンシャルプランナーとして東京都葛飾区高砂に事務所を構えています。事務所は、居宅介護支援事業所(介護保険のケアマネジャーの事業所)を併設し、その代表者でもあります。 1970年生まれの一人娘で、もうすぐ55歳になります。母(昭和17年生まれ・82歳)は、事務所と同じ町内にある高齢者向けアパート(老人ホームではなく、高齢者向け優良住宅という種別の住まい)に、車いすで一人暮らしをしています。 この「82歳車椅子一人暮らし」という、なかなかチャレンジングな生活をするに至るまでには、いろいろなことがありました。それでもどうにかこうにか、今年の秋にはそんな暮らしが2年目を迎えるところなのでした。詳しくはまた次のコラム以降でお話ししていきたいと思います。とにかく、今回は救急搬送の話です。

今年のゴールデンウィークは、ショートステイを利用

母は5月2日から近所の特別養護老人ホームのショートステイを利用していました。5月7日まで利用する予定でした。

◆ショートステイとは

ショートステイは、介護を必要とする方が短期間特別養護老人ホームや介護施設に滞在し、必要な介護サービスを受けられるものです。利用者が一時的に家を離れることで、家族の介護負担を軽減する目的もあります。祝日や特別な状況で支援体制が手薄になる際にも利用されることがあります。

母がここ半年ほど前から、突発的な胸の痛みや一人暮らしへの不安を訴えていたため、ケアマネージャーさんと相談して、老人ホームでの生活を“あらためて”試してもらうことにしました。先月からショートステイを利用し始めましたが、母はそれほど乗り気ではありませんでした。「一人で部屋にいるのと同じ」「特別面白い行事があるわけじゃない」「人に気を使いたくない」……。 あれほど「一人では不安だ」「もう無理」と言っていたのに、感想は散々でした。まあ、人というのはそういうものなのかもしれません。
それでも、ゴールデンウィーク中は訪問看護も訪問診療もお休み。何か急なことがあっても、誰も駆けつけてはくれません。やはり安全確保のためにも、24時間人の目があった方がいい。そんな思いから、乗り気ではない母をなだめながら、ひとまずショートステイに送り出したのでした。

ショートステイ先で、母、数値のヒットを飛ばす

5月4日、ショートステイ先から電話がありました。「血糖値が405を超えている」とのことでした。受診をすすめられましたが、訪問診療を受けている病院に電話しても祝日で対応不可。救急車を呼ぶかの判断を迫られましたが、数値以外に変化はないため、様子を見ることにしました。母からも電話がかかってきました。「血糖値が上がっちゃったんだけど」。そういわれても、私もどうしたらいいんでしょうか。翌日面会に行くことを提案してやっと母は納得しました。体調が悪いんだから顔ぐらい見に来るべきだと言うのでした。

ショートステイにつき、母曰く

5月5日、ショートステイ先へ面会に行きました。母はディールームで母の日をテーマにした工作をしていました。娘の私が来ても、「あ、来たのね」という感じの素っ気なさ。 それでも、「自分はもうこれいらないから」と、カーネーションの工作をくれました。二人で居室に行き、なんてことのない会話を交わしました。

母は4月の半ばに車椅子に乗ろうとして転んで右わき腹をぶつけていて、なかなか痛みがおさまっていませんでした。そのため、左側に体を寄せているからなのか、そのせいなのか、顔の左側が非常にむくんでいました。まるでお岩です。他に左側の症状がないのか聞いても、特にピンとこないようで、お岩状態の原因がわかりません。

母は体の痛みを訴えつつ「年を取るのはいいこと何もない」「頭もぼけてきた」とか嘆くばかり。身体をさすってあげるくらいしかできないのでした。

ショートステイの職員さんは、日ごろ訪問してくれているヘルパーさんと比べれば馴染みがないし、シフト勤務ですから日々対応する人も変わります。それで母は、人恋しくなったと呟きました。車いすの母には、居室のトイレは手狭。実際動作を見ていると、家で過ごしていたほうが快適のように見えました。寝具も使い慣れていないので布団の厚さが物足りない。母は翌日には家に帰れるものだと考え、帰りの荷造りをまとめていました。実際の帰宅は翌々日の夕方だと告げると心底がっかりしていました。

「お母さんが一人暮らしで心細いって言うから、お試しで老人ホームに泊まりに来たじゃないのよ」と言っても、「そうだったっけ」とどこ吹く風。母は「そりゃあ自分の家のほうがいいでしょ」と実感を込めて言うのでした。

母から「人恋しいから来て」と言われたのも、私がそれにすぐ応じたのも、どちらも珍しいことでした。「今、会っておかないともう会えないかも」という、うっすらした不安が私の中にあったのです。そして、その不安は的中してしまいました。

◆教訓

直感は大事。なんとなくであっても、体調がすぐれない時は、速やかに受診することをお勧めします。その行動は、家族のがんばりにかかっています。

2025年5月6日朝8時半、私の携帯電話が急を告げた

ゴールデンウィーク最後の日。まだまどろんでいた私は電話の呼び出し音で起こされました。母「お母様の酸素濃度が76しかありません。顔面蒼白で呼吸も苦しそうです。救急車を呼びました」。私もタクシーを呼びすぐに施設に駆け付けました。到着すると、救急車がすでに停まっており、母は中でストレッチャーに寝ており、酸素マスクが装着されていました。酸素が10L投与されているにもかかわらず、酸素飽和度は91〜92%までしか上がらず、ゼッハッゼッハッと、呼吸は苦しそうでした。

さて問題です。ここで家族が最初に救急隊員に聞かれることは何でしょう。

「延命措置を行いますか?」という質問です。

「急変した場合、挿管しますか」。人工呼吸器を入れるか入れないか、心臓マッサージをするかしないかの選択に迫られます。

以前から「延命しなくていい」と言われていたため、その旨を伝えましたが、目の前で母は、ゼッハッゼッハッしているのです。ビーコン、ピーコン スーハースーハースーハー ビー。母の目はうつろに開き、それでも声をかけると反応するのです。思わず手を握るのです。

そんな中、母の既往歴、服薬状況、かかりつけの医療機関名、最近の健康状態などを細かく尋ねられ、家族は答えていくのです。救急車の中では、隊員が病院に受け入れを打診し続けますが、ゴールデンウィークの当日で、なかなか受け入れ先が決まりません。

最終的に、訪問診療を受けていた病院が受け入れてくれることになり、搬送が決まりました。

救急車のサイレン。機器がピーと鳴っている音。がたがた揺れていく車内。母の身体をさすり、励ましました。

病院に着いても、今日は祝日。当直医しかおらず、看護師もわずかな人数。診察・検査にかなり時間がかかりました。そしてふたたび、聞かれるのです。延命をするかどうか。

ようやく入院が決まると、慌ただしく入院に必要な衣類などを母の部屋に行って用意。受け渡しし、荷物のチェック。補聴器が片方ない!とかあたふた。

やっと日も沈む夕方に帰宅。どっと疲れて横になっていると、23時過ぎの深夜に病院からの電話。これは、覚悟を決めないとならない。

夜の当直医からの病状説明と真っ白な肺のレントゲン写真。もう元に戻らない可能性が高い。今日明日に亡くなる可能性があると告げられ。そして、また、聞かれるのです。延命をするかどうか。

息苦しく寝込んでいる母の枕元に行って呼びかけると、母は、はっと目を開け「こんな時間に来たってことは‥‥ハッ私は悪いのか!?」「今までと違って、これは悪い!」息苦しいのに話す母。長くいたら身体に障りそう。「また明日も来るからね」と声をかけると、自ら身体を起こし「待ってますー」と、手を振る母。何ですかこの風景。子どもの頃見た、ご臨終コントのおばあちゃんみたいじゃないですか。

あの日、改めて思ったこと

私はこのコラムを1年以上書けずにいたことを、ずっと気にかけていました。

なぜ筆が止まったのか。当時は「忙しいから」と自分に言い訳していましたが、実は違いました。日に日に老いていく母と向き合いながら、その姿を「コラムのネタ」にすることが、私にとってとても切なかったのです。

やっと、「書かなければ」と原稿に取りかかっていたこのタイミングで、また母の緊急搬送。

やはり、介護は突然に、容赦なくやってきます。そしてそのたびに、家族の精神力、判断力、体力が試されます。

病院に搬送されたあとの流れは、さらに続きます。入院手続き、病状説明、必要物品の準備や受け取り、病院との連絡……。平日であれば事務も開いているのですが、祝日や夜間は限られた対応しかできません。後日また病院に行って、手続きのために書類を提出し、支払いを済ませ、先生の説明を受け直すこともあります。

今日が峠の宣告を受けてしまったからには、他のことも判断していかなければなりません。明日からの仕事をどう調整するか、葬儀はどうするか、埋葬・墓はどうするか(今、先に亡くなっている父の墓に母も入れるとなると、葬儀に墓苑のある寺の僧侶を呼ばないと、墓に入れてもらえない規定になっているのでした)。

「お母さんは82歳。もう高齢です。病気のデパートだし、いつでも急に心臓が止まるかもしれません。検査をするにもリスクが高い。積極的な治療は無理がありますが、どうしますか」前々から医師から言われていた事でした。頭ではわかっていたつもりでも、年をとっていろいろ困ることもある母でも、それでも目の前で息苦しくして、死が差し迫っている、今日か明日かもしれないと言われて、はいそうですかという気持ちになれますか。

なんなんでしょうね、この、ドッ…と疲れるこの感じ…。

それでも周囲にはこの気持ち関係ない…。

ゴールデンウイーク明けのせわしない毎日が、目の前に迫ってきているのでした。

‥‥もう、これはさらに奮起して、母をネタにコラム書くしかないじゃないですか!(涙

母は生きている

母、5月12日現在、病院食を完食するほど回復を遂げているらしいです。やっと見舞いも解禁です。会えばきっと「あー、生きる目的があるわけでもないし、あちこち悪いし痛いし、なんで助かっちゃったのかなあ」なんてぼやくに違いありません…。うるさいよ!

「お母さん。私、お母さんを題材にコラム書いてるんだから、お願いしますね」

「ふーん。闘病記?」

お母さん、たのむよ!

介護の知恵袋~救急搬送時に家族が備えておくべきこと

項目 内容
延命措置の希望 事前に本人の意志を確認し、家族間でも共有しておく。
既往歴・服薬リスト すぐに伝えられるようリストを準備。入れ歯の有無や日常動作も把握。

※入れ歯の有無や、普段の日常動作(歩行等の状況)も家族は必ず聞かれるので把握しておきたい。

かかりつけ医・診療情報提供書 主治医に相談し、紹介状を準備。
健康保険証・介護保険証・診察券類の保管場所 入院手続きで必要な書類をすぐ出せるように。
入院セット 着替え・洗面用具・ティッシュ・おむつなど。病院により異なるので確認。

※今まで服用している薬を全部持っていくことが通例なので、どこに薬が保管されているか知っているのは重要です。

現金 入院時に一時金が必要なことも多い。まとまった現金は用意しておきたい。

 

次回予告

次回は、母との長い介護生活の始まり、2018年の転倒をきっかけにした大腿骨骨折のエピソードから、私が「娘としての介護人生」に踏み出すことになったその日を振り返ります。

 

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