「天空の地チベット」を思う【2008年 第4回】

【2008年 第4回 「天空の地チベット」を思う】地域コラム 甲信越・北陸

田中 美紀子(タナカ ミキコ)

 

 

 

「お母さんに会いたい・・・。」と幼い女の子が小さな手で涙をぬぐいながらつぶやく。その姿に深く心を打たれます。そこは、標高6000mを越える厳寒のヒマラヤ山中、亡命するチベット難民の子供達を追ったドキュメンタリーフィルム「ヒマラヤを越える子供たち」の冒頭シーンです。

毎年、数百人の子供たちが中国チベット自治区からヒマラヤ山脈を越え、ネパールを経由してインドへ亡命しています。親子ともどもお互いにもう二度と会えないかもしれないことを覚悟し、不法行為のため中国警察に捕らえられたり、山中で命を落としたり、凍傷で手足を切断したりする数々の危険を承知の上でヒマラヤを越える選択をするのです。

それは、一体何故なのでしょうか?子供たちの亡命を導くガイドは、「子供たちに未来を与えたい。これは命をかけるほどの価値ある仕事と思っている。」と言います。チベット自治区の学校で教えるのは中国語のみ。貧しさゆえにチベット人の子供で小学校に行けるのは半数程度、そしてチベット人が深く信仰している仏教を学ぶこともできないという厳しい現実があります。

子供たちにチベット人独自の言語、仏教、歴史、文化を学び、チベット人として誇りを持って生きてほしいという民族の切なる願いが亡命というかたちをとらせているのだと思います。

チベットは長い歴史のある国でした。紀元前127年に誕生、7世紀に吐蕃王国としてシルクロード地域に勢力を拡大、8世紀には仏教を国教化、17世紀には政宗一致のダライ・ラマ政権が成立しラサを首都に定めてポタラ宮を建設、チベット文化が花開いたといいます。

1949年、中国はチベットを中国の領土と主張し人民解放軍を送り込んでチベット支配を強化、それに反発して1959年ラサで大暴動が起こり、チベット仏教の最高指導者でありチベット人の敬愛を集めるダライ・ラマ14世はインドへ亡命を余儀なくされました。その際、ダライ・ラマ14世を慕って13万人もの難民が亡命しました。一方、チベットでは100~150万人ものチベット人の尊い命が失われたとも言われています。

それから50年あまり経ちますが、その間多くの貴重な寺院・仏像が破壊され、特に僧侶に対する弾圧、チベット仏教の制限、漢民族の移民政策推進など、チベット人が民族の誇りをもって生きることのできない状況が進んできたといえます。

一方、インドのダラムサラではダライ・ラマ14世のもとでチベット亡命政府が樹立され、現在学校では1万人を超える子供たちが集団生活をしながら学んでいます。チベット仏教はもともと仏教発祥の地インドから取り入れられたもの、その縁もあるのでしょうが、インドのチベット難
民に対する寛容さがうかがえます。

世界遺産にも指定されたチベット仏教の聖地ポタラ宮。そのポタラ宮の前に、装甲車、戦車はおよそ似つかわしくないものです。真実は、隠そうとしても世界中に認識されることになるでしょう。何百年にもわたって、天空の地チベットで営々と築かれ深められてきた独特な仏教文化、それはチベットの人々によって後世に大切に伝えていかなければならないものと思います。

宗教・言論の自由があり、誰でも教育を受けることができる日本。私たちはそれを当然のこととして、恵まれた環境だと意識することもありません。でも、アジアそれも海を隔てた隣国に、平和な日本では想像を絶する過酷な状況におかれた人々がいることを忘れてはいけないと思います。

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