マイアドバイザー® 顧問 岡本英夫 (オカモト ヒデオ)さん による月1回の連載コラムです。
ファイナンシャル・アドバイザー(近代セールス社;2022年春号以降休刊)の初代編集長として、同誌でも寄稿されていたエッセイの続編的な意味合いのあるコラムとなります。
岡本 英夫 ⇒ プロフィール
保険金額増額、契約転換は保険会社の販売戦略
戦後1980年代まで保険販売の主力は「生保のおばちゃん」の愛称で親しまれた婦人外交員だった。筆者が入社したのは76年4月だが、婦人外交員は総務部の女性と一緒に新人を回り、定期付養老保険を勧誘していた。「生命保険加入は社会人の常識です」ということで保険金額1,000万円に加入、保険金受取人は母で保険料は給与引落しに。それでも婦人外交員はことあるごとに来社、契約者を回ってお菓子を配ることを欠かさなかった。
2年後の78年10月、結婚したことを知った婦人外交員は「一家の主ですから保険金を総額しましょう」と保険金額2,000万円の定期付終身保険への転換を勧めた。定期部分が200万円、終身部分1,800万円で疾病入院特約付き、保険金受取人は妻に。婦人外交員は、年末にはカレンダーを配り、契約者向けの麻雀大会に誘ったり、勤務先の社内行事に参加したりしていた。麻雀大会には数度参加したが、大企業の社員が多かった。
それから2年後の80年9月、長男が生まれた直後に、こども保険の勧誘にやってきた。中学・高校入学時、大学入学時に祝い金が、22歳時に満期祝い金が受け取れるという内容だったが、いわれるままに契約した。予定利率は高く、子どもの成長につれ、その威力を痛感した。当時のこども保険・学資保険は今とは比べ物にならない「優れもの」だった。
以上を外交員側から見ると、一例だが、最初の月は契約時保険料の14%が手当となり、2か月目から7%が1年数か月続く。そこから保険金増額や契約転換の準備をし、2年後の結婚を機に契約転換、新たに14%と7%の手当を得た。そして、こども保険の新規契約で同様の手当が続いたのである。同じ職場で契約者は何人もいたし、勤務先の適格退職年金も取り扱っていた。実は、この外交員は社内でも指折りの優績者であった。
個人年金保険料控除の5万円への引き上げ
個人年金保険料控除は1984年に創設されたが当初は5,000円だった(一般生命保険料と合わせて5.5万円)。これが1990年に5万円に引き上げられ一般生命保険料と合わせて10万円となった。生命保険会社(簡保・JA共済等を含む)は個人年金保険販売に血眼になった。筆者の勤務先を訪問した外交員の中には「個人年金保険に加入すると年末調整で5万円返ってきます」など語る人さえいた(勉強不足だっただけのようだが)。
その頃、筆者は簡易保険担当者向けの研修講師をしていたが、その受講生の一人が自宅近くの郵便局にいて、わが家にセールスにやってきた。「旦那様には大変お世話になっています」という言葉に妻は発売されたばかりの「トータルプランしあわせ」なる終身個人年金保険に限度額一杯加入した。これが大正解で「お宝保険」となった。現在も受け取り中だがすでに支払い保険料累計額を上回り、貴重な老後資金となっている。
バブル期の生命保険の予定利率
| 民間生保・有配当 | 簡易保険 | ||||
| 適用年月日 | 20年超 | 20年以下 | 10年以下 | 20年超 | 夫婦・終身 |
| 1985.4.2~1990.4.1 | 5.5% | 6.0% | 6.25% | 6.0% | 5.0%(夫婦) |
| 1990.4.2~1993.4.1 | 5.5% | 5.5% | 5.75% | 5.75% | 5.5%(終身) |
| 1993.4.2~1994.4.1 | ← 一律4.75% → | 5.75% | 5.5%(終身) | ||
生保危機と定期付終身保険の見直し
1997年の日産生命、99年の東邦生命の破綻により、巷では「次に破綻する生保はどこか」が話題となり、「自分の契約している保険は大丈夫か」と、保険相談が相次いだ。当時の郵便局の暮らしの相談センターではFPが対応していたが、バブル期に契約した定期付終身の定期部分の更新期に当たっていたこともあって、解約や減額を勧めることで支払い保険料を減額することができた。
「更新すると毎月の保険料がアップします。減額あるいは解約することで保険料は減額できます。今の契約のままで更新すると死亡保険金は契約通り支払われますが、生きて老後を迎える可能性のほうが高いと思いませんか?」「であれば、浮いた保険料を教育費にまわす、老後のために生かすほうがよくないですか」といった回答で相談者の支持を得た。保険会社にとっては受難の時期だった。
医療保険ブーム
日米保険協議と保険業法改正で、第三分野の保険が注目されるようになる。単体の医療保険は昭和の時代、平和生命が雑誌広告などで細々と取り扱っていた。多くは主契約に医療特約を付けて対応していた。がん保険も1970年代からアメリカンファミリー(現アフラック)が販売していたがさほど注目されなかった。第三分野の全面解禁は2001年で、以降多くの保険会社ががん保険・医療保険に注力した。「2人に1人はがんになる」と。
わが国の社会保険制度には、高額療養費制度も傷病手当金制度もあるのだが、そうした説明なしに医療保険、がん保険が販売された。人気タレントがCMに起用され、診断一時金、先進医療特約が世間の注目を浴びた。新種のがん保険が次々に発売され、その都度、多くの保険会社が保険記事の執筆や保険見直し相談をおこなうFP向けの説明会を開催しはじめ、筆者あてにも説明会の案内が送られてくるようになった。
保険の見直しがFP業務の主要業務に
長らく続いたデフレ経済の下で「家計リストラ」が叫ばれ、固定支出を減らす対策のひとつとして生命保険の見直しが重視されるようになり、保険に詳しいFPのもとには多くの相談が寄せられた。保険の見直しには一定のパターンがあり、当初は生保危機や勤務先保険会社の営業手法に疑問を抱いて退職した女性FPがリードしていたが、2000年代半ば以降、多くのFPがそれらのノウハウを吸収していった。
現時点では、生命保険の見直しは一巡した感があるが、インフレ、金利上昇の流れを受けて再度注目される時代が近づいているようにも思える。

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