なんで地方で独立?【2015年 第1回】

【2015年 第1回 なんで地方で独立?】  地方でのFP独立ヒストリー

キムラ ミキ  

人口最小県の鳥取県。なぜそんな鳥取県で、ファイナンシャルプランナーとして、しかも独立系のファイナンシャルプランナーとしてお仕事を始めようと思ったのか…。今までの軌跡を自分自身の備忘録としても振り返ってみたいと思います。

 

 

 

 

今までの軌跡

私がファイナンシャルプランナーの資格を取得したのは、大学生の時。その当時、東京にある社会福祉の単科大学に通っていました。

社会福祉の勉強をしながら、なぜファイナンシャルプランナーの資格を取得したかについては、また追々にお話できればと思います。

資格取得後、スタディグループを通じて知り合った独立系のファイナンシャルプランナーの事務所でアルバイトをさせてもらって、表参道という、東京のシャレオツなエリアで時には芸能人とすれ違いながら、ファイナンシャルプランナー資格取得のための教材に関するお仕事やライフプラン相談のお仕事、生命保険や不動産、金融商品等々に関する執筆のお仕事等々、独立系のファイナンシャルプランナーってこんなお仕事をするんだ…と感じながらお手伝いしていたのが私のファイナンシャルプランナーとしてのお仕事の第一歩でした。

 

その後、外資系生命保険会社に新入社員として入社し、生命保険の飛び込み営業を経験。もっとお客様とお話できる業界に行きたいと飛び込んだのが、不動産業界。転職時の話では、不動産の仲介営業か新築マンション販売の部署に配属となる予定でした。入社してみたら人手が足りないということで不動産鑑定の部署のアシスタントとして配属となり、外勤から、一転内勤の人に。そのあたりから、私の社会人レールが、少し思わぬ支線に入り込み脱線の危機を迎えかけました。

 

ややジャンクな生活の中、訪れた転機は、派遣社員として働いていたマンションディベロッパーで正社員になったこと。ファミリー向けのマンション販売は、とっても楽しくて販売成績が1位になったこともありました。そして、その職場で知り合った方と結婚。そして、退職して専業主婦になりました。とはいっても、家の中でじっとできる性分でもないわけで…。ひょんなタイミングで再会したファイナンシャルプランナーさんの事務所のお仕事のお手伝いをすることになり、またファイナンシャルプランナーとしてのお仕事に携われることになりました。ネットの環境があればできる仕事も多いし、ここで経験をしっかり積んで、ゆくゆくは実家のある鳥取県に帰って仕事ができればいいな…と漠然と思い始めたのがこの頃です。しかし、まだまだ先のお話と思っていました。

そして、結婚からわずか3年ほどで、諸事情により離婚。諸事情により、いろんな気力が失われていましたので、実家のある鳥取県に戻ることになりました。ゆくゆくは地元に帰ってファイナンシャルプランナーの仕事とは思っていたものの、あまりにも事情が早送り。とはいえ、先述の通り、私の履歴書はあまりきれいな代物でもありません。キモチが落ち込んでいる時に、イチからその経歴について面接でお話する気にもなれず。

 

そこで浮かんだ選択肢が、鳥取県で独立系ファイナンシャルプランナーとしてお仕事をするということでした。今までお手伝いしてきたお仕事も引き継げることになったり、ゆくゆく鳥取県に帰ってお仕事をしようと思って開拓したお仕事も既にあったり、何より実家住まいだし、何とかなるかな…という軽い感じで、私の「鳥取県で、独立系のファイナンシャルプランナーをやってやる!計画」はスタート。

そうと決まったら、まずは、副業でやっていた学習塾の開設が鳥取県できるように本社との折衝をしよう。そして関東にいるうちに乗り合いの保険代理店に加入する算段を付けよう!なんとなく慌ただしい準備が始まったのでした。それが2009年10月のお話。

鳥取県に帰って、ファイナンシャルプランナーとしての独立がそんな甘っちょろいもんじゃないと感じたことについては、また次回にお話できればと思います。

 

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