寺子屋は義務教育なみ?【2011年 第6回】

【2011年 第6回】 寺子屋は義務教育なみ? ~ウチの家計簿、武士の家計簿~

西谷 由美子(ニシタニユミコ)⇒ プロフィール

識字率は世界一、といわれますが、江戸時代の教育事情は今とどう違うのでしょう。

 

 

 

 

 

 

江戸時代の教育は

5月末には「今頃?」という感じで台風がやってきて、6月の始まりは肌寒く感じました。
もう我が家は制服とは縁が切れましたが、6月1日は衣替え。町を行く女子高生のセーラー服が紺から白が基調となり、つい目を奪われたり。で、
女子高生 → 現代の女性の高学歴化 → 昔は「女に学問はいらない」とかいってなかった?
かなり無理やりな連想ゲームですが、「女に学問はいらない」で思い出した江戸時代、この頃の教育ってどうだったんでしょう。

文部科学省のHPにある幕末の教育事情では、幕府が江戸および直轄地に学校を設置、有名なのが昌平坂学問所ですね。また大半の藩が自前の藩校を設置していました。それとは別に庶民には寺子屋と呼ばれる小さな私塾があり、江戸末期には全国に数万の寺子屋、江戸だけでも1500以上が存在していたと推定されています。
庶民の寺子屋は日常生活に必要な読み書き・算盤が主な学習内容ですが、書道のほかに絵画、女の子向けにお裁縫、という科目も。あるいは何年も通う生徒の中には四書五経の読み方に進む者もあったそうです。

江戸時代の就学率は世界最高の教育水準

義務教育ではありませんので、すべての生徒が専門書を読んだり高度な計算をするわけではないでしょうが、この寺子屋の普及により江戸庶民の就学率は約七割と推定されています。同じ頃のイギリスの就学率は二割といわれていますので、まちがいなく世界最高の教育水準といえるでしょう、エッヘン。

この寺子屋のお師匠さんはTVでもおなじみ、民間の学者さんであったり、長屋に住む浪人さんであったり。他にも僧侶、神官の方も副業として寺子屋を開かれることがあったそうです。生活に困窮している浪人稼業のお師匠さんを除けば比較的裕福というか別の収入があったので、授業料にはそれほどこだわりがなかったといわれています。

入学時には紙、筆、硯等をそろえて、先輩生徒たちにお菓子をふるまう、そして先生には御月謝。あと、冬の暖房費や教室の畳替え代、盆暮れの付け届けなども必要であったとか。
「武士の家計簿」の猪山家でも、お赤飯持参で手習いの教室や剣術の教室に入門のご挨拶に伺ったことが記録されていました。

御月謝事情

おもしろいことにこの御月謝の額、その家の格によってそれぞれ差をつけるのが当たり前であったのだとか。今のように必要額を一律に、というわけでもなかったのですね。また、いわゆる「授業料滞納につき退学処分」ということもなく、支払いが滞ってもある時払いや現物納でもなんとかなった・・・そうです。誰ですか、うらやましいって言ってるのは?
ではその御月謝。記録を基にざっと計算しますと、高い方は年間約90万円、お手軽なところでは約7万円(金で五分=一両半 から銀で1300匁まで色々)。あら、今の小学校時の教育費に似た金額ですね。

寺子屋は6~7歳から5年間ほど通うことが一般的で、5年経って一定の能力が身に着いた頃奉公に出る(就職する)というのがよくある話だったそう。男の子は読み書きそろばんができると就職に有利、女の子は就職のみならず縁談に有利ということで、都会ほど教育熱は高かったといわれています。

ちょっと裕福なご家庭であれば、女の子の習い事として寺子屋での読み書き算盤のほかに、お茶や生け花、踊りや三味線、お裁縫など習わせていそうだと想像できますね。寺子屋は9時から3時位までお勉強していたといわれていますので、その後こちらに通ったとすると、何だか今と同じ、「塾通いで遊ぶ暇がないほど忙しい」生活を送っていたのでは?

のんびりした生活を想像しがちな江戸の昔ですが、子供の教育に関しては今と同じだったのかもしれませんね。ちょっぴり意外なことを知ってしまいました。

  • コメント: 0

関連記事

  1. いつの間にか増えていく通信費 その2【2013年 第6回】

  2. 配当利回りと配当性向(実践編) 【2016年 第2回】

  3. ドケチ転じてエコロジー?【2008年 第6回】

  4. 就職率【2012年 第4回】

  5. 性別や年齢で異なる日本人の死因 【2016年 第3回】

  6. Let’s Enjoy “旅”  『賢く楽しく“旅”しましょう。』【2011年 第8回】

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。